前置胎盤で緊急入院!出血から退院までの体験日記

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管理人は、2人目の妊娠中に前置胎盤で緊急入院しました。その時のことを書きます。前置胎盤気味だと言われた方、前置胎盤だけど無事出産できるか不安に思っている方の参考になれば幸いです。

重たい米を運んだら・・

まず最初は出血から始まりました。妊娠6ヶ月目のことです。

我が家は当時2階まで階段を上がる必要があり、その時は上の子が3歳。スーパーで10kgのお米を買い、階段をえっちらおっちら登りました。おなかはまだそんなに目立っていなかったです。そして家に入り、夕飯の支度をしていました。

まな板でネギをトントントンと刻んでいると、何やら生暖かい感覚がありました。と同時に上の子が「ママーーー!!血がでてるーーーーー」と叫んでいるのが聞こえました。ん?と思って足元をみると・・そこにはまさにドラマのように真っ赤な血の海が広がりつつあるではありませんか!!「ギャアァァァーーーーーー!!!」と叫ぶぐらいの阿鼻召喚の世界が広がっていました。

痛みはまったくなかったですが、おなかの中で赤ちゃんがすごく暴れています。「もしかして苦しいのかも」そんなことを思ってました。とにかく出血の量がすごく、主人は帰宅前だったので思わず「119」に電話をしていました。と同時に主人にも電話しましたが、救急車のほうが早く到着し、私と3歳の娘と一緒に救急車へ。

救急隊の方が出血がもれないようにショーツのようなものをはかせてくれて、担架に乗せられて救急車まで移動しました。生まれて始めて乗る救急車。かかりつけの産婦人科医を聞かれ、そこまで搬送してくれることに。

病院に着いたらあっけない先生の言葉

そしてかかりつけの産婦人科に到着、すぐに担当の先生が診察をしました。赤ちゃんは無事なの?もうダメなの?そんなことを思いながらドキドキして憂鬱なきもちで診察台へ。何を言われるかとおもいきや「いやー、びっくりしたよねー。もしかして重たいもの運んだ?」の一言。「え??」という感じでした。先生はまったく慌てる様子はなく、まるで日常の出来事かのような落ち着きっぷりでした。

どうして重たいものを運んだってわかったんだろう!!!それもびっくりでした。昔から「妊婦さんは重たいものを持っちゃダメ」と言われているけど、これって本当なんだな、と思いました。

診察してる間も赤ちゃんは暴れまくっていました。何かを察知したんでしょうか。

そして結果、前置胎盤による切迫流産の診察。胎盤の位置が悪く、子宮が大きくなれば胎盤も引っ張られて正常な位置に戻る場合もあるし、このまま戻らない場合もあるけど即入院ということで、そこから退院までは一度も家には帰れなかったです。とにかく「絶対安静」だそうで、いつ退院できるかもわからない。そのような状況でした。


入院生活

病院に来てから即入院。その病院はちょうど新しい病院を建てているところで、2週間後にまだ入院していたら、古い建物は壊すので新しい病院のほうへ全員引っ越しということでした。入院した時は2人部屋。同じ病室のママさんは双子ちゃんを妊娠中で、流産しかかったので私と同じように絶対安静の患者さんでした。

私は切迫流産ではありましたが下腹部痛などの痛みはまったくなく、赤ちゃんも元気です。ただ動いてはいけないという状態なのでとにかく動けないのは辛かったです。

トイレには行けますがお風呂には入れません。シャワーもダメです。シャワーも浴びれない状態が1週間も続いて、同室のママさんも同じでした。とにかく髪の毛が洗えないのが辛い・・と、そんな時に見つけた「水をつかわないシャンプー」。髪の毛はきれいになるとは思えませんが、気分的に多少はすっきりした感じがありました。でも1週間もシャワーなしって、それが一番辛かったですね。

入院生活1週間後

やっとシャワーの許可がおりました!湯船には入れません。髪の毛を洗えただけでも幸せを感じました。最初は全然シャンプー泡立たなくて3回ぐらい洗いましたね(笑)

先生の回診は毎日あり、ちゃんとした診察はまだ1回のみ。その診察でOKがでなければ退院はできません。

病室にテレビはありましたが、いかんせん1日みてるのは時間を持て余します。動けないことがだんだんストレスになってくる時期ではないでしょうか。痛みがまったくないので、ただ安静にしているだけ。点滴は毎日打ちます。1週間毎日点滴していると、看護師さんも打つ場所を探すのに苦労しているようでした。だんだん点滴がいつ終わるかが自分でもわかってきます。点滴の薬は、子宮の収縮を防ぐためのものだそうです。

パソコンでインターネット

入院生活のリズムがつかめて時間を持て余すようになってきたので、主人にノートパソコンを持ってきてもらいました。当時、病院にWi-Fiや無線LANなどの設備はなかったので、イーモバイルを契約してインターネットにつなげるようにしてもらいました。短期だけの契約も可能だそうでかなり助けられました。

入院生活2週間後

毎日、誰かしら手土産を持ってお見舞いに来てくれるのが本当に嬉しかったです。それ以外は、テレビ、パソコン、読書ぐらいしかやることがありません。新しい病院にうつって個室になったのでおしゃべりもできません。会話をするのは看護師さんと掃除のおばちゃんだけです。。

外にも出れず、他の部屋に行くこともできず。この頃になるといつ退院できるのかだけを楽しみにしている感じで、先生の回診で「じゃあ診察ね」と言われるのを心待ちにしていました。診察がないとそれだけ退院が遠のくということですので・・

入院生活3週間後

この頃になると診察で「まだ帰れませんかー?(泣)」と泣きながら先生に聞くようになっていました。

あまりにも私がおいおいと泣くので「どうしてもというなら帰ってもいいけど、赤ちゃんの命の保証は50%だよ」と言われました。それでもいいなら帰りなさい、ということです。それを言われたらとても帰りたいなんて言えませんが、当時はストレスでちょっとおかしくなっていたかもしれません。

主人と上の子は来れる日は夕方主人の仕事が終わってから来てくれましたが、毎日来れるわけではなく、その寂しさもありました。とにかく時間が過ぎるのが地獄のように遅くなっていく毎日でした。

入院生活1か月後

胎盤の位置はおなかが大きくなるにつれ、だんだん正常な位置に近づきつつありましたが、まだ退院できません。

この頃になるとお金も心配になってきましたが、入っていた生命保険の入院給付金があったのでまだ救われました。高額医療の補助はギリギリという感じでした。
高額医療についてはこちら⇒妊婦さんになるともらえる手当

ただただ時間が過ぎるのを待つばかりの毎日。日中、ほとんどベッドで寝ているので夜は寝れないことが多く、長い夜でした。

そして点滴も毎日なので、血管はボロボロ、腕を見るとアザだらけ。本当にひどい状態でした。看護師さんは相当苦労していたようです。「もうさす場所がないね~どうしよう」と言っていました。かといって打たないわけにはいかないようで。。もう妊娠7ヶ月に入ったのでおなかもだいぶ大きくなってきました。

やっと退院の許可が降りた!!

退院できることよりも、胎盤の位置が正常に戻ったことを喜ばなければいけませんが・・この頃の私は家に帰りたい一心でした。自分の家にいても大したことはしていないと思いますが、やっぱり自分の家が一番落ち着きますよね。

許可がでたのが入院してから40日後のことでした。もう嬉しくて嬉しくて飛び上がるような気持ちだったのを思い出します。

この頃、なぜかおなかが急に大きくなり、胎盤が引っ張られて正常な位置におさまったそうです。1人目とは全然違うおなかで、前に突き出るような感じでした。よく、おなかが前に出ると男の子、横に広がると女の子とか言いますが、まさに男の子だったんです。不思議ですね。

退院後

やっと我が家に帰ってきた!と喜んでいるのもつかの間、入院中絶対安静でまったく動かなかったので体重の増加が激しく、太り過ぎてしまいました。それまでは安静!安静!だったのに、今度は「動け!動け!」になりました(笑)

歩きなさい、運動しなさい、食べ過ぎるな。検診に行くと先生から必ず言われました。今までの1ヶ月は何だったんだろう・・という感じです。
ほぼ寝たきりの入院生活だったので筋力は衰え、体力も落ちていたのでウォーキングを始めましたが、退院後はすぐに息が上がってしまってなかなか辛かったです。

その後

結局、体重は増え続けてしまいましたが、無事、元気な男の子を出産しました。陣痛は1時間。超安産でした。

今思うと、あの切迫流産と入院生活は何だったんだろう・・という感じですが、前置胎盤になっても普通分娩で出産することができました。もし妊娠中期に前置胎盤と診断されても、その後、解消されるというケースのお話でした。絶対ではありませんが、私のような例もあるということで参考にしていただければ幸いです。



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